薬に頼る話

前回、心療内科で勝手に通院を止めて薬を止めて

鬱病を克服したような書き方をしてしまったが、

それをお勧めしたり、安易に試す事はあまりしないでほしい。

 

心が病気になってしまったとき、心身は正常な働きをしない。

制御できなくなって上下にトゲトゲした歪な線を、

根性論なんかで叩き直せるならば、メンタルクリニックはいらない。

 

挫けてしまう弱さ、できない事だらけ

迷惑をかけて、泣いてばかりで、何もかも辛くて、

できなくて、できなくて、できなくて、

薬を飲まなきゃやってられない情けなさを感じる。

 

でも必要だから飲んでいるんだと、私は、思う。

甘やかしのように聞こえる人もいるかもしれない。

そんなこと言ったら抜け出せなくなるとか、

ずっと頼るようになるとか、思うかもしれない。

けれど前を向くよりももっと手前で俯いて、

ご飯すら喉も通らない程に絶望している人に

頑張れなんて言えそうにない。

 

「とにかくご飯食べよう」とは言えるかもしれない。

それと同じように、乱れて接触不良になった心に

「まずは落ち着こうか」と薬で治療する。体を休める。

 

とにかく、整わないと前を向く事もままならないんだから。

整ってきて、何か余計な考えや余分な事ができるようになったら

そこから減薬を挑戦してみてもいいんじゃないだろうかと。

 

それもできれば焦らないでほしい。

2日しか持たなかった、とか。また飲んじゃった、とか。

自分が何年かけて病気になったのか、今の状態になったのか、

忘れないでほしい。

数日、数週間、数か月、数年で自分に失望しないでほしい。

逃げたくなるのは健常者だって、誰だってそうだし、

人間、楽な方に流れていく生き物だと思う。

そのうえで、長い時間をかけて自分と向き合っていけたらって。

 

私はもう薬を飲んでいないけれど、そういう気がある人間で、

根っこが弱いんだっていうのは変わらない。

いつだって鬱病だった頃に戻ってもおかしくない。

けど、どこかで折り合いをつけながら生きていけるのは、

鬱病になったからだとも思う。

 

世間は、社会は、確実に生きづらいものなんだけど

その中で自分なりの出来る事や、自分なりの働き方や生き方を

認めてあげて欲しい。

 

世間体や価値観を押し付けられても、

乗ってる土台と物差しが違うんだから

うっせ―黙ってろ!って、心の中で唱えたら

自分の仕事と生活だけこなしていきましょ。そうしましょ。